境界に生きた心子

BPDの心子との波瀾万丈の日々をつづった「境界に生きた心子」。甘い蜜月と凄まじい修羅場、壮烈ながらもピュアでひたむきなラブストーリーです。愛を求めて力の限り生き抜いた、千変万化の僕の彼女を紹介します。

脳死は人の死か? (1)

イナモト
 
(前の記事からの続き)

 僕は個人的には、 脳死は 論理的に人の死であると 考えていました。

 脳死に関しては、 立花隆の名著 「脳死」 に 大きな影響を受けました。

 「脳死」 は、

 「 初回にかっ飛ばした、 代打満塁場外ホームラン 」 と評されています。

 つまり、 脳死論議が取り上げられ始めた 最も初期に出た本で、

 医学の専門家ではない 立花隆が、 いきなり

 他の追随を許さない 最高峰の著作を 打ち立ててしまったということです。

 脳死という状態は、

 人工呼吸器が誕生して 初めて存在するようになった と言われます。

 事故などで 脳が損傷を受け、 脳死状態になって

 呼吸中枢が働かなくなっても、人工呼吸器によって

 体に酸素が 送られている状態です。

 心臓の筋肉細胞は 自律的に伸縮するので、 脳死になっても 拍動するのです。

 しかし 脳が死んでしまうと、

 心臓をはじめ 全身の機能を 統合・ 調整することができなくなり、

 やがてコントロールを失って 心臓も停止してしまいます。

 一人の人間として生きている 身体の統合作用は、

 脳という中枢の臓器によって なされていると考えられるので、

 脳の死がその人の死だ という筋道になります。

 また 立花隆によれば、 人格のアイデンティティは 脳であり、

 それが死んだときが 個人の死であると考えます。

 例えば、 もしもAさんの脳を Bさんに移植をしたと 仮定すると、

 体はBさんであっても その人はAさんになります。

 言い換えれば、 Aさんに対して、

 脳以外の全臓器を 移植したということになるのです。


 従来の死は、 心臓が止まることで 人が死んだとされていました。

 もっとも 従来の死でも、 心臓が止まると 脳に血液が行かなくなり、

 数分で 脳細胞は死に始めて、 脳死になっていたのです。

 心臓死と脳死の タイムラグがほとんどないので、

 何の問題にも なりませんでしたが、

 立花隆は この脳死の時点が 本来的な死だと言います。

 なお、 脳死の定義は

「 全ての脳の 不可逆的な機能停止 」 とされています。

 しかし立花隆は、 不可逆性を確実にするものとして、

 脳の機能的な死ではなく、 器質的な死とすべきだと 主張しています。

 その条件として、 脳血流の停止を挙げています。

 僕もこれに同意します。

(次の記事に続く)
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